今月まで丸3年間定期的にお仕事をいただいていた広告漫画のお仕事をお受けしていたのですが、毎月連載もあり、今年は初めての海外小説原作のコミカライズのお仕事もあるので、
「今月のお仕事で、お断りしないと後の締め切りが厳しい」
と、判断をしまして、本当に残念ながら今月のお仕事以降はお受けできない旨を担当さんにご連絡いたしました。
大手のお仕事で、定期的にいただけて、担当さんも早め早めにご連絡してくださり、お返事もすぐいただけて、本当にいいお仕事でした。
3年間続けさせていただいたのでお仕事自体にも愛着があり、私自身も寂しい気持ちでいっぱいなのですが、そうやってやめられず、自分の漫画のお仕事のチャンスを何度も逃したことがあるので、さすがに今回は早めに決断をしました。
最初にチャンスを逃したのは、やはり長崎で中学校の教員を12年間も続けてしまったことです。
5年間も教員やりながら、漫画を描いていました^^;
やめる3年前から大手にも担当さんが数社いて、
「アシスタントも紹介して生活できるようにするから、上京しないか」
と言われたり、
「いつでも作品が上がったら、雑誌に掲載をするから」
と言われながらも、なかなか中学校の教員をやめられませんでした。
生徒に教えることが好きだったのと、定期的にお給料が入るお仕事をやめるのが本当に怖くて、上京するのを誘われてから貯金をしだして、貯金がたまるまでやめる決心ができませんでした。
それと長崎県という地方だったので、教員をやりながら漫画を描くこと自体両親がよく思っておらず、教員をやめて漫画家になると私が言えば、父親から殴られて勘当される覚悟をしなくてなりませんでした。
父は人前でも、私が大人になってもよく手を出す人でした。
そのための準備と覚悟をしなくてはならず、漫画家でデビューをしてから中学校の教員をやめるまで5年間かかりました。
正直なところ貯金がたまらなくても、大手の担当さんが上京を誘ってくださったときに教員をやめて、上京していれば、漫画家で独立してからの今後には本当によかったのです。
それから3年間たって上京した時は、大手の担当さんは別の部署に行ったり、いつでも掲載すると言われた雑誌は休刊になっていたりで、なんとか隔月に1回のお仕事はあったのですが、最初の半年は貯金で生活をしていました。
「チャンスはずっと続けて同じ条件であるわけではなく、チャンスが来た時にすぐ動かないとダメなんだ」
と、今でも思います。
そのかわり父を1年間ほど車で一緒に通勤していた時に、とくとくと毎日「漫画雑誌の担当さんから誘われている」など、自分が漫画家としてやりたい気持ちをずっと話つづけ懐柔して、私が教員をやめて上京するとわかった2週間前は母は泣いて、半年間口を利きませんでしたが、父はもうわかってあきらめていて
「自分が思うようにできると思うな」
「盆、正月には帰ってこい」
「東京についたら、電話をしない」
と言っただけでした。
貯金も退職金を含めて、400万円以上ためていました。
「本当にそこまでためなくても…」
と、自分の慎重さにあきれるほどなのですが、上京して20年後母が余命1年とわかり、仕事を四分の一に減らして、3か月に1度看病に帰り、弟夫婦が近くで看病をしてくれていたので毎月仕送りもして、その貯金400万円が全部なくなりました。
やはり貯金もいざっというときにないと、本当に困るとも思います。
私が30年前デビューした時より、雑誌でデビューするのはかなり厳しいと思うのですが電子書籍の発展が今すさまじいので、漫画家としてデビューできる可能性はかなり高いと思います。
私のように石橋をたたいて渡るように漫画家になるよりかは、どんどんチャンスはつかんでいってください^^
ただし貯金は、しっかりためておいたほうがいいです^^;